講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

現代思想論

真理への愛

プラトンの恋愛論が、いわゆる「プラトニックラブ」として我々が知るものとどのように異なるのかを明らかにするために、『饗宴』の内容を詳しく紹介したうえで、フーコーの分析を解説しました。プラトンの言う愛とは、相手の魂(精神)を目指すものではなく…

後期レポート

現代思想論および特殊研究の2008年度後期レポートについて、以下に詳細を掲載しました。不明な点などあったら質問してください。 2008年度後期現代思想論レポート2008年度後期特殊研究レポート

プラトニックラブ

古代ギリシャにおける身体への配慮、夫婦間の貞節といった問題に次いで、少年愛の問題へ。少年ないし青年と成人とのあいだの性交渉がいかなる問題を生じさせたのか、そしてそこから、我々がいわゆる「プラトニックラブ」としてイメージするものへの傾向がど…

魂と身体

本日はまず、後期レポートについて説明。予定通り、最後の授業のときにその場で書いてもらう、というやり方でいきます。詳細は近日中に個人サイト上に掲載予定です。 そして前回のおさらいから、古代ギリシャにおける性倫理の具体的な話へ。今日はまず、ギリ…

ギリシャと倫理

あいだがあいてしまったので、前回のおさらいから。キリスト教的性道徳と古代ギリシャ・ローマの性倫理との連続性と差異について考察するために、まずはポイントを絞るところから始めました。それから、まずギリシャにおける倫理的問題を扱う上で押さえてお…

権力から倫理へ

本日より、権力の話を離れて、性の問題を「倫理」との関連で扱うフーコー晩年の著作についての考察へ。どのようにしてそのような軸の移動が起こったのかについて、わかりやすいと思われる側面をとりあげつつ解説してみました。強制や禁止によるのではなく、…

生権力

前期にほんの少しだけ触れておいた生権力bio-pouvoirについて少々補足してみました。個人としての人間および集団としての人間の生そのものに介入しようとする権力について、その歴史的背景とその性との関係に言及しながら解説。ちょっと消化不良という方、ぜ…

性解放運動とフーコー

前期に終えることのできなかった内容として、性解放運動とフーコーとの関係について解説しました。性解放運動の教祖と奉られているにもかかわらず、フーコー自身はそのような運動に直接参加することなくそこから常に一定の距離を保っていたのはいったいなぜ…

前期のおさらいなど

まずは、前期レポートの講評から。今回は問題のあるものが多かったので、後期はやり方を変えて、準備をしてきたものを教室で書いてもらうことにしようと思っています。大まかなことは今日の授業中に説明したとおり。細部については時期が近付いてきたらまた…

精神分析学の歴史的可能性の条件について

前回、前々回のフロイト概説を踏まえつつ、今日は、そのようなものとしての精神分析学がいかなる「歴史的可能性の条件」を持つものであるのかということについて考察してみました。「セクシュアリティ」の発明、告解の伝統とその変容、ブルジョアジーの台頭…

夢解釈

精神分析の2回目として、夢解釈の話。夢の顕在内容から潜在内容を読み解き無意識のうちに抑圧された願望を明らかにすることによって病を治療しようとする手続きを解説しました。 次回は、前期最終回として、この学問をフーコーが歴史的にどのように位置づけ…

精神分析

性的欲望の話から権力の話にどうつながるのかを、今一度おおまかに復習。そのうえで、今回はフロイト『精神分析学入門』をもとに、無意識の探究において性的欲望がどのように扱われるのかを、極めて簡略に解説しました。とりあえずは、幼児期におけるリビド…

パノプティコン

まず前回に出たいくつかの質問に対する回答。前回同様ちょっと時間をかけすぎてしまったかもしれませんね。 そしてそのあとで、規律権力の視覚的形式としてのパノプティコンについて。ここから個人の真理の問題へ、そしてそこから性的欲望の問題の再検討へ、…

従順かつ有用に

まずは先日のコメントのいくつかに対して返答。歴史の連続的進歩を問題化するやり方について、そして「別のやり方で思考する」ことの射程について、少々補足してみました。 そのうえで、身体刑と監獄への閉じ込めという二つの異なる処罰形式がそれぞれどのよ…

君主権的権力と規律権力

まずは権力とは何かについて前回の話を補足的に説明し、それから、個人の真理の探求を自らの任務とする「規律権力」とはどのようなものであるのかという問題へと進みました。今日、そして次回は、フーコーの『監獄の誕生』を主に参照することになります。 な…

自由と権力

こちらもまずは、前期レポートについて。試験がよい、という声も少なくなかったけれど、シラバスにレポートと書いてあったのを見て履修したんだから、という主張が決め手となりました。 それから、前回話し始めた自由の問題について。自由を「決定」に対立す…

権力関係と個人の真理

性の話から権力の話へと移行するにあたり、今日は教師と学生との関係を例として取り上げ、とりわけ試験において、ひとり一人の学生について知ることと権力の円滑な運営とがどのように結びつくのかということを考えてみました。 さらに、そもそも教育とは権力…

逆らい難い力としての欲望

性的欲望の真理が個人の真理を我々に告げてくれる、というような考え方が受け入れられているとすれば、それはいったいなぜか、という問いから出発して、ある種の行動へと我々を差し向ける原動力としての欲望の考え方について解説しました。そしてそうした考…

欲望の真理

性に関する言説の増殖はいったい何を含意しているのかという問題から出発して、とりわけ性的欲望が人間にとって極めて重要なものと考えられているらしいという事態を確認(「知への意志」)。そしてそこから、とりわけ個人の真理を明らかにしてくれるものと…

言説の煽動

まず、私たちは性に関して沈黙を強いられているのでは、という問いを提出してみました。つまり、先週の授業でやってもらったように何か書けと言われれば書けるけれど、みんなの前で性について口にするのはちょっとはばかられるのではないか、と。 そしてこれ…

イントロダクション

今年度の現代思想論は「セクシュアリティ」をめぐる問題を、ミシェル・フーコーを手掛かりにしつつ考えていきます。第一回目の今日は、性に関してみなさんがどのような問題意識を持ち、どれくらいの知識を持っているかを知るために、いくつかの簡単な問いに…

Image optico-sonore pure

最終回の今日は、知覚と行動との絆をいわばその極限にまで導いたものとしてのヒッチコックの映像と、逆にその絆を断ち切ったものとしてのロッセリーニの映像とを比較。観客の登場人物化と登場人物の観客化については、おそらく理解してもらえたものと思いま…

チャップリン、キートン

まずはチャップリン的スラプスティックについて解説。チャップリンがリアルとコミックを両立させ、さらにトーキー時代には「ディスクール」によってASA'をSAS'に合流させたことを、彼のオリジナリティとして指摘しました。そして、これに対しスラプスティッ…

スタニスラフスキー・システム

役を演じるのではなく、役を生きる・・・アクターズ・スタジオにおける内面の重視を、スタニスラフスキー・システムから出発して解説し、それが「行動主義」と同様、知覚と行動との強固なつながりを打ち立てようとするものであることを確認しました。そして…

行動イマージュ

本日から行動イマージュの話。まずハワード・ホークス「暗黒街の顔役」一部を上映し、前回見てもらったフォードとヴィダーの映像とあわせて、SAS'(状況‐行動‐状況)の三つのパターンについて解説しました。そのあと、行動主義とアクターズ・スタジオとの関…

クレショフ効果など

クローズアップそれ自体の「表現」の力について、「潜在的なもの」と「現勢的なもの」との差異を拠り所にしつつ考察。クレショフ効果をひきあいに出しながらしゃべってみたんだけど、納得していただけましたでしょうか(参考文献:ジャン・ミトリ『映画にお…

任意の空間

本日は、クローズアップがすなわち顔である、というドゥルーズのテーゼについての解説。特定の時間・空間的座標軸から対象を切り離すことによって移動の運動を表現の運動に還元する、という機能について、少々時間をかけて説明しました。 新たに見てもらった…

感情イマージュ=クローズアップ=顔

本日は(青学では知覚イマージュについて軽くおさらいをした後)感情イマージュの話へ。感情イマージュとはクローズアップであり、クローズアップとは顔である、というドゥルーズのテーゼについて、まずは顔と感情との関係をベルクソンのイマージュ論を援用…

第15回 生の恥辱

ベルクソンによる知覚の定義にもとづいて、中心的知覚と脱中心的知覚について考察。そしてそれらが映像においてどのように現れるのかを極めて簡略に解説しました。 そのあと、自分に直接的利害関心のないものを切り捨てる知覚を倫理的な観点から取り上げなお…

第14回 分化する知覚

映画的知覚が自由間接話法的である、という前回提示した命題について、それがいったい何を含意しているのかを解説しました。複数の主観が混ぜ合わされているということではなく、逆に分化による主観構成の契機がそこにあるということ。その後で、前回も見て…