講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

第15回 生の恥辱

ベルクソンによる知覚の定義にもとづいて、中心的知覚と脱中心的知覚について考察。そしてそれらが映像においてどのように現れるのかを極めて簡略に解説しました。


そのあと、自分に直接的利害関心のないものを切り捨てる知覚を倫理的な観点から取り上げなおしつつ、いわば視線の試練として、アラン・レネの「夜と霧」を上映しました。「そんなの関係ねえ」ととらえるのか、それとも「人間であることの恥辱」ととらえるのか。いずれにしても、多少なりとも衝撃を感じた人は、再来週のドキュメンタリー映画上映会にもぜひ足を運んでみてください。