講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

青学特講

補講

前期にひきつづき補講として映画を一本上映。今回はジャン・ルノワール「黄金の馬車」を選び、多少解説を加えました。そしてそのあと場所を変えて打ち上げ。大いに盛り上がり、私自身存分に楽しませてもらいました。また機会があればぜひ! そして本日をもっ…

Image optico-sonore pure

最終回の今日は、知覚と行動との絆をいわばその極限にまで導いたものとしてのヒッチコックの映像と、逆にその絆を断ち切ったものとしてのロッセリーニの映像とを比較。観客の登場人物化と登場人物の観客化については、おそらく理解してもらえたものと思いま…

チャップリン、キートン

まずはチャップリン的スラプスティックについて解説。チャップリンがリアルとコミックを両立させ、さらにトーキー時代には「ディスクール」によってASA'をSAS'に合流させたことを、彼のオリジナリティとして指摘しました。そして、これに対しスラプスティッ…

スタニスラフスキー・システム

役を演じるのではなく、役を生きる・・・アクターズ・スタジオにおける内面の重視を、スタニスラフスキー・システムから出発して解説し、それが「行動主義」と同様、知覚と行動との強固なつながりを打ち立てようとするものであることを確認しました。そして…

行動イマージュ

本日から行動イマージュの話。まずハワード・ホークス「暗黒街の顔役」一部を上映し、前回見てもらったフォードとヴィダーの映像とあわせて、SAS'(状況‐行動‐状況)の三つのパターンについて解説しました。そのあと、行動主義とアクターズ・スタジオとの関…

クレショフ効果など

クローズアップそれ自体の「表現」の力について、「潜在的なもの」と「現勢的なもの」との差異を拠り所にしつつ考察。クレショフ効果をひきあいに出しながらしゃべってみたんだけど、納得していただけましたでしょうか(参考文献:ジャン・ミトリ『映画にお…

任意の空間

本日は、クローズアップがすなわち顔である、というドゥルーズのテーゼについての解説。特定の時間・空間的座標軸から対象を切り離すことによって移動の運動を表現の運動に還元する、という機能について、少々時間をかけて説明しました。 新たに見てもらった…

感情イマージュ=クローズアップ=顔

本日は(青学では知覚イマージュについて軽くおさらいをした後)感情イマージュの話へ。感情イマージュとはクローズアップであり、クローズアップとは顔である、というドゥルーズのテーゼについて、まずは顔と感情との関係をベルクソンのイマージュ論を援用…

第14回 分化する知覚

映画的知覚が自由間接話法的である、という前回提示した命題について、それがいったい何を含意しているのかを解説しました。複数の主観が混ぜ合わされているということではなく、逆に分化による主観構成の契機がそこにあるということ。その後で、前回も見て…

第13回 映画と自由間接話法

今日から本格的に講義を再開。ベルクソンのイマージュ論のところから簡単におさらいをした後、知覚イマージュへ。映画における主観的知覚と客観的知覚との分かち難さが言語における自由間接話法の問題と交叉するという(パゾリーニに依拠した)ドゥルーズの…

第12回 ヴァリエテ

本当は前期のまとめをやろうと思っていたんだけど、体調を崩し週末に授業準備ができず。声もつらいので、今日は急遽映画上映ということにさせてもらいました。E.A. デュポン監督の「ヴァリエテ」(1925年)。普通に楽しめたのではないかと思います。ドイツ表…

クレーヴの奥方

2時間分の補講として、まずオリヴェイラ監督「クレーヴの奥方」を上映し、その後で印象に残ったシーンなどを一人ひとり語ってもらいました。映画の方は予想外に不評でしたが、その後の討論は結構楽しんでいただけたのではないかと思います。それにしてもキ…

第11回 ベケット「フィルム」(2)

先日見てもらったベケットの「フィルム」について、ベケット自身のテクストをまず紹介し、その後でドゥルーズがどのようにこれを分析しているのかを見ていきました。そして最後にもう一度解説を交えながら上映。先週見たときには見えていなかったものを見る…

第10回 イマージュ(2)、ベケット

まず、前回解説したベルクソンのイマージュ論をみなさんからの質問をもとに別の観点からもう一度取り上げ直し、その上でベケットの「フィルム」を上映。ベルクソニスムと映画との関係はちょっとわかりづらかったかもしれませんが。 次回は「フィルム」につい…

青学特講休講および補講(訂正)

7月17日の補講は、教室が15305に変更となりました。通常授業の教室と異なりますのでご注意ください! なお、詳細についてはこちらを参照。

第9回 イマージュ

ラングとムルナウの映像をもとにドイツ表現主義と「力学的崇高」との関係について簡単に解説した後、ベルクソンのイマージュ論へ。本日はまず、「現れるもの」のすべてをイマージュとみなすことによってどのような帰結が得られるのか、そしてそれが映画とど…

第8回 ガンス、ラング、ムルナウ

まず前回見てもらったガンスの映像についてその特徴を、ドゥルーズにならってカントの「崇高」を引き合いに出しつつ解説。そしてそのままドイツ表現主義へ進むべく、ラング「メトロポリス」、ムルナウ「ノスフェラトゥ」の映像を上映しました(青学では機械…

休講および補講について

青学では7月4日水曜日に月曜日の授業を振り替えで実施することになっていますが、私は水曜に明学で授業があるため行くことができません。そこでその日は休講とし、以前お休みにした分とあわせて、7月17日火曜日の4、5限に補講を行います。教室はたぶん…

第7回 ヴェルトフ、ガンス

本日はまず、ソヴィエト的モンタージュに属する一本として、ジガ・ヴェルトフ「カメラを持った男」。シナリオを廃した彼の映像がいかなる意味において弁証法的かつ非有機的であるのかを解説しました。 その後、フランス的モンタージュの代表として、アベル・ガ…

第6回 Cinema1第3章(1)

今日からモンタージュの話。ドゥルーズが言う4種類のモンタージュのうち、今日は、アメリカ的モンタージュ(「有機的」)とソヴィエト的モンタージュ(「弁証法的」)について、グリフィス監督「國民の創生」とエイゼンシュテイン監督「十月」を部分的に見…

第5回 Cinema1第2章(2)

先週の画面構成の話に続いて、今日はカットの話。カットは純粋な運動の知覚を我々に与えてくれる、というドゥルーズの主張について主に解説しました。次回からモンタージュに入ります。 本日の映像は、ヒッチコック「ロープ」。究極のワンシーン・ワンカット…

第4回 Cinema1第2章

先週はお休みにしてしまって大変失礼しました。とくに青学は朝なので来てしまってから休講を聞いたのではないかと。申し訳ありません。 本日からCINEMA1第2章。まず運動に関するベルクソンのテーゼが、画面構成、カット、モンタージュという映画の基本的な…

第3回 Cinema1第1章(続き)

GWをはさんでいたこともあり、前回のおさらいをしながら第1章を終わらせました。今日のポイントは、運動は全体(質的変化)の「動的断面」coupe mobileである、というベルクソンの第3のテーゼ。 次回は第2章。映画の具体的な技法の問題が扱われることにな…

第2回 Cinema1第1章

まず、ドゥルーズもたびたび言及するヴィンセント・ミネリ監督の作品『巴里のアメリカ人』の圧倒的ダンスシーンを上映。今日のところはただ単に、ダンスと映画とを比較する目的でとりあげてみました。映画のなかのダンスがどのような意味、役割を持つかはと…

第1回 イントロダクション

現代思想論と青学特講ではいずれもドゥルーズの『シネマ』を解説していきます。 映画半分、哲学半分、という感じで、毎回一つは何らかの映像(基本的にドゥルーズが扱っている映画の一部分)を見てもらう予定。本日はD.W.グリフィス監督『イントレランス』(…

レポート締切

青学特講の学年末レポートは本日締切です(厳守!)。プリントして提出の場合は教務課へ。メールで提出の場合はこちらのページからお願いします。 なお、レポートの形式、内容の詳細についてはこちらのページで確認してください。

レポートの書き方

現代思想論、特殊研究、青学特講のレポートについて、どのように書けばよいかまだよくわからないという声がありましたので、以前「レポート評価基準」として授業で説明した内容を、「レポートの書き方」として個人サイト上に掲載しておきました。参考にして…

最終回 総まとめ

本日は2007年最初にして2006年度最後の青山。「自分自身からの離脱」のプロセスとしてフーコーの仕事全体を読み解くというこの講義の目的とその成果を総括しました。フーコーの思想に触れることによって、みなさんの一人ひとりがこれまでとは別の仕方で思考…

第25回『快楽の活用』

年内最後ということで、駆け足で『性の歴史』第二巻『快楽の活用』を解説。ギリシャの性道徳における少年愛の問題、プラトンにおける愛の問題についてのフーコーの分析を、極めて概括的に紹介しました。次回、今日しゃべったことを多少補足し、今年度の授業…

第24回『知への意志』(4)

「生権力」とのかかわりにおいて「セクシュアリティ」という概念が歴史的にどのようにして形成されるのかということに関するフーコーの分析を紹介。そして、この「セクシュアリティ」を問題化することこそがフーコー的な「抵抗」に他ならないということにつ…