講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

現代思想論

解釈の外にとどまること

前回に引き続き、『知の考古学』について。そもそも「知」そして「考古学」というフーコーの用語について説明するのを忘れており、失礼しました。今日はそこから始めて、人間学的思考から解放された歴史研究とはどのようなものかについてごくおおざっぱに解…

知の考古学

まずは、「人間学の眠り」について少々詳しくおさらいしました。人間の有限な能力と物自体とはいずれも認識の可能性の条件を構成しているという観点から前回の話をとりあげ直したんだけど、少しはわかりやすくなったでしょうか? そして今度は『知の考古学』…

人間学の眠り

「物自体」の話をおさらいしつつ、人間に固有の有限性をめぐる問いかけがどのようにして思考の眠りを導くことになるのかという、この授業のクライマックスへと突入しました。乗り越えがたいものとして現れたものを、その乗り越えがたさを維持したまま乗り越…

批判哲学と有限性

『言葉と物』における「深層の発明」の話を、カントの「物自体」に関連付けて解説。そこから、「批判哲学」と有限性の問題へと持って行きました。要するにフーコーは、カントの哲学を、「深層の発明」の帰結のうちのひとつとして位置付けているということ。 …

後期レポートなど

今日はまず、後期レポートについて詳細を説明しました。欠席した方、聞き逃した方は、こちらを参照してください。 それから、事実上/権利上の区別や生物学の誕生について先週のおさらい。ダーウィンとラマルクの進化論の違いまでは話すことができたものの、…

レポート

現代思想論および特殊研究の後期レポートについて、以下に概要を掲載しましたのでご覧ください。詳細についてはそれぞれ次回授業のときに説明する予定です。 2009年度後期現代思想論レポート2009年度後期特殊研究レポート

深層の発明

有限性をめぐる考え方の根本的な転換についておさらいし、「見えないもの」 の射程に関する質問(en fait/en droitなど)に答えた後、『言葉と物』へ。そこで述べられている「深層の発明」によって可能になった三つの学問のうち、とくに生物学の誕生について…

有限性

休講や白金祭などでお休みが続いてしまい失礼しました。内容を忘れてしまっているかもしれないと思い、おさらいを少々丁寧に済ませた後、『臨床医学の誕生』についてのまとめを行いました。この著作において提示されている「不可視なる可視性」を、「喪失と…

見ることは見ないことである

前回のおさらいを済ませた後、『臨床医学の誕生』においてフーコーが語っている「不可視なる可視性」の構造が、人間学的思考を特徴づけるものとしての喪失と回収の図式と完全に重なるものであることについて解説。そしてそれから、構成的有限性の問題に少し…

臨床医学

先週のアンケートの結果、授業のスピードを落とすことについて概ね賛同が得られたものの、がんがん勧めて欲しいという声もちらほら。そこで、前週のおさらいを少々詳しくやることにして、授業自体は時間の許す限り勧めることにしようと思います。また何かご…

おさらい2

前回に引き続き今回も、前期のおさらい。今度は、前期に扱った著作の内容に踏み込みながら、人間学的探究を特徴づけるものとしての弁証法と、それに対するフーコーの態度の変化について辿り直しました。 そこから、『臨床医学の誕生』の内容へ、と思っていた…

前期のおさらいなど

後期第一回ということで、まずは前期レポートの講評、次いで、前期のおさらい。というより、この授業のテーマ「人間の死」とはどういうことなのかを改めて確認しました。 次回、もうちょっと具体的に前期の話の流れをとりあげ直しつつ、『臨床医学の誕生』の…

レポート

本日は授業中レポート。ざっと目を通したところ、結構よく書けているものがありました。成績発表をどうぞお楽しみに!

見えるものと見えないもの

本日が前期最後の授業。そこで、レポートのために、あってはならない間違いを3点ほど指摘しておきました。そしてその後で、西欧の思考における18世紀末の大転換について、カントの「コペルニクス的転回」を引き合いに出しつつ解説。時間が少なかったことも…

疎外された狂気

まず前回のおさらいをした後で、『狂気の歴史』における人間学的思考の名残について。「疎外された狂気」という表現のうちにいったい何が含意されているのか、そしてそれがどのような点において人間学的思考と通じあうのかということを例によってできるだけ…

狂気と人間学

本日は、狂気の近代的な考え方の成立と人間学的思考との関係についてのフーコーの分析を紹介。そしてそこから、『狂気の歴史』と50年代の彼の著作とのあいだに認められる決定的切断を指摘しておきました。 次回は、そのような離脱の身振りにもかかわらず61年…

狂気と医学、狂気と自由、狂気と悪徳

前回講義の内容についていくつかおさらいした後、監禁制度の解体がいかなる新たな狂気経験をもたらしたのかについて。いわば三つの取り違えによって狂気をめぐる近代的な考え方が成立するようになったのだということを、『狂気の歴史』にもとづいて解説しま…

非理性と監禁

本日より、1960年代にフーコーがどのようにして人間学的思考から身を引き離していくのかをみていくために、まずは1961年の『狂気の歴史』について。古典主義時代における狂気の監禁をめぐるフーコーの分析を概観しました。来週は、狂気が今度は精神の病とし…

精神疾患と疎外

まず『夢と実存』への序文についておさらいした後、1954年のフーコーのもう一つのテクスト『精神疾患とパーソナリティ』へ。内容を簡単に紹介しつつ、こちらでもやはり、弁証法的思考と人間学的探究との本質的なつながりが見いだされるということを強調して…

レポートについて

2009年度前期現代思想論期末レポートについて、以下に詳細を掲載しましたのでご覧ください。他の授業に関してはまた後ほど。 2009年度前期現代思想論期末レポート

人間学と弁証法

先日質問した精神分析、マルクス主義、弁証法について、簡単に回答・・・のつもりが、ついつい長くなってしまって失礼しました。 そして軌道をもとにもどすべく、『夢と実存』への序文について。なぜ夢を分析するのか、そしてその分析はどのようなものになる…

期末レポートの話など

フレキャンから体調を崩してしまい準備不十分だったこともあり、本日は期末レポートの形式および内容に関する説明と、前回講義のときに話した思考と言語との関係についての補足的解説を行いました。レポートに関しては個人サイトにあらためて詳細を掲載する…

神、人間、動物

前回の続きとして、特権的な知の対象としての人間について、補足的に解説。無限から出発して有限性を考えるのではなく、有限性を有限性そのものから出発して考えるようになるとはどういうことなのかということ、そしてさらに、実は有限性はそれ自身の基礎と…

『夢と実存』への序文

先週途中で終わってしまったフーコーの著作紹介を70年代から始めて終わらせた後、いよいよ一つひとつのテクストについての考察。本日は1954年のビンスヴァンガー著『夢と実存』仏訳にフーコーが付した序文に関して、そこで明白なかたちで「人間」が特権的対…

フーコーの著作

前回の質問に対して簡単に答えた後、これから1年間の講義で扱うフーコーの著作について、その内容およびその「人間とは何か」という問いとの関係を大まかに概説。きわめて簡単に済ませようとしたんだけど、結局60年代の著作までしか終わらず失礼しました。 …

「人間の死」とは?

イントロダクションとして、ミシェル・フーコーが語る「人間の死」とは何かというこの授業のテーマについて極めて簡略に解説しました。決して「人間とは何か」ではないのでお間違えのないよう(むしろこちらはフーコーによればまさしく死に至る問いです)!…

レポート

初めての試みとして、準備してきたものを教室で書いてもらう、というかたちでレポートを作成、提出してもらいました。ざっと見た感じではなかなか効果的だったのではないかと思いますが、やってる方はどうだったのでしょうか? こちらも本日で今年度は終了。…

「蛇イチゴ」

本日は、西川美和監督講演会を前に、「蛇イチゴ」の上映会。楽しんでもらえましたでしょうか?

日本の刑罰制度、そして総まとめ

まずは、日本の刑罰制度に関する発表。とくに江戸時代における死刑のヴァリエーションについて詳しく紹介してもらいました。 そしてそのあと、限られた時間だったけれど、今年度の総括。「セクシュアリティ」の発明と規律権力との関係、そしてさらにはプラト…

発表(1)

現代思想論もやはり今日は発表。精神分析および性同一性障害をめぐる問題について、それぞれ1名にお願いしました。 ここでもやはり自分の調子が悪かったのと時間がなかったのとで、補足的説明ができず失礼しました。来週、日本の刑罰制度に関する発表をやっ…