講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

大学院

語る主体の稀少化

テクストは40ページ下から9行目まで読了。 なお、今日もまたレポートについて言い忘れたので、ここに記しておきます。 締切:7月31日(水) 字数:3000字程度 内容:現在読んでいるテクストに何らかのかたちでかかわるもの(言説、排除、権力、作…

「真なるもののなかに」

36ページまで読了。メンデルの話の途中まで終わりました。研究分野の後は、語る主体の稀少化へと進みます。

研究分野と真理

34ページ8行目まで終了。研究分野disciplineに関するここの記述は、とくに『言葉と物』と大きく関連しています。

作者機能

30ページ下から8行目まで終了。言説の出来事性を統御する第二の原理としての作者の話です。ここの部分は、『ミシェル・フーコー思考集成?』所収の「作者とは何か」と大きく関連しているので、ぜひあわせて読んでみてください。

注釈

テクスト28ページの1行目まで読了。注釈ないし解釈は、言説を言説そのものとして扱おうとするフーコーにとって、極めて重要な問題を提起するものです。

言説の出来事性

25ページ下から9行目まで終了。ボルヘスに関する部分がちょっと中途半端に終わってしまったので、次回はそこのところのおさらいからやります。

真理への意志の強制力について

22ページ下から11行目まで読了。言説の権力と危険を払いのける手続きについてのパラグラフがもうすぐ終わり、言説の出来事性を統御する手続きに関する記述へと進みます。

真理への意志

真理への意志が制度的なものであるということが述べられた段落の20ページ1行目まで読了。ちょっとペースが落ちてきましたが、ここは大事なところなのでいたしかたありません。

真と偽の分割

18ページの2行目まで終了。真と偽との分割を真理への意志という観点から考えるとき、それは歴史的な分割であるということが述べられていました。次は、その分割が変更可能な分割であることについて見ていきます。

狂気の言葉

テクストは15ページの下から4行目まで終了。狂気の見分け方がちょっと議論になりましたが、いずれにしてもフーコーが狂気の真理を語ろうとしているわけではないということに注意です。

理性の狂気との分割

テクストは、理性の言説と狂気の言説とのあいだの分割について述べられているところを、14ページの8行目まで読了しました。次回はその続きから、真理への意志の話へと進みます。

言説の物質性、出来事性、権力

テクスト12頁の2行目まで終了。言説の物質性、その出来事性、その権力が問題となっていることを強調しておきました。これからは、一つの社会のなかでそれらがどのように制御されるのかということに関する考察が、順になされていくことになります。

始まりの拒絶

テクストは9頁15行目まで終了。始める必要をなしですませたいという欲望と、始まりを際立たせようとする制度との対立を確認するところまで。ベケットやイポリットとの関連についても少々詳しく解説しました。 次回は、言説の物質性、その出来事性、その権力…

イントロダクション

大学院は、半分ほどが昨年度と同じメンバーでしたが、とりあえずまずは自己紹介。その後で、フーコーについての簡単な紹介と、テクストを読むためのウォーミングアップなど。『知の考古学』の一節をもとに、フーコーの言う「言説」とは何かということを理解…

ミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランス開講講義(L'ordre du discours, Paris, Gallimard, 1971)を講読しながら、「言説」の物質性および出来事性について考察します。

「ラス・メニーナス」の2つのヴァージョン

テクスト211ページの5行目まで終了。「ラス・メニーナス」の最初のヴァージョンには画家も画架も描かれてはいなかったという、X線調査によって分かった事実をふまえた分析でした。次回は、一定範囲をみんなで分担することによって、なんとか最後まで読み終…

ベラスケスとカント

199ページの3行目まで読んだ後、208ページ5行目までを私が要約。さらっとやるつもりだったんだけど、「物自体」の話などを少々詳しくやっていたら、それで時間がきてしまいました。次回はその続きから読んでいきます。

幾何学的構成と想像的構造

テクスト198ページ下から12行目まで読了。「ラス・メニーナス」の消失点が扉に置かれる一方で、その幾何学的水平線が王の眼の高さにあるということ。ここから、「絶対的主体」としての王の地位が示されることになります。

鏡と扉

テクスト196ページ下から8行目まで読了。「ラス・メニーナス」の消失点が実は鏡ではなく扉にあるという事実によって、王の絶対的な地位が示されている、という話に辿りつきました。

すべてを見る者としての王

テクスト194ページ11行目まで読了。「ラス・メニーナス」はいかなる点において王に対するオマージュであるのかという話がこれから述べられていきます。

capricho

テクスト191ページ15行目まで読了。「ラス・メニーナス」に描かれている情景が明らかにベラスケスによるフィクションであるというところまでやって来ました。もうしばらく歴史的分析が続きます。

私的な作品としての「ラス・メニーナス」

本日の講読は188ページの下から12行目まで。具体的な作品分析とはいえ、ちょっとややこしい文章が続いていたこともありたくさん進むことはできませんでしたね。次回はもう少し私の分担を増やしてみることにします。

歴史的調査

テクスト186ページ最初の段落の最後まで読了。今回は具体的な話が多かったのでまあまあ進みましたね。次回は「ラス・メニーナス」のなかに我々が実際に見ることのできるものについての分析となります。

存在すれすれのところで

テクスト183ページの一つ目の段落の終わりまで読了。フーコーの「ラス・メニーナス」論に対する美術史家的見地からの反論がここから始まります。

理論と歴史

テクストは182ページ10行目まで読了。絵画をめぐる心的痕跡をなおざりにしてはならないということ。これが、アナクロニスムとつきあうための手段としてアラスによって提示されているものの一つでした。

フーコーの「侍女たち」

後期も、前期に引き続きダニエル・アラスのテクストを講読。今回は、ベラスケスの作品「ラス・メニーナス」を扱った文章を読むことにしました。これはもちろん、フーコーが『言葉と物』のなかで述べた内容を踏まえてのテクスト。というわけで、初回の今日は…

私は門である

テクストの残りの部分を全部終えるには時間が足りなかったので、ドメニコ・ヴェネツィアーノの「受胎告知」に関する分析を読んで、今学期の授業を終了しました。 後期は、ベラスケスのラス・メニーナスに関するテクストを読む予定。なるべく早くテクストを用…

見えるものと見えないもの

本日は、4ページ目の上から9行目まで終了。次回で予定の範囲を読み終えられるかどうか微妙ですが、できる限り進めたいと思っています。 それから、遅くなってしまったけれど、前期レポートのことについて少し話しました。概略を言っておくなら、締め切りは…

遠近法と受胎告知

コッサのカタツムリに関するテクストをようやく読了。続いて、やはりダニエル・アラスの、やはり受胎告知に関する別の文章を読み始めました。本日は、2ページ目の11行目まで終了。まずは、ロレンツェッティ兄妹が登場しました。

人間は万物の尺度である

テクストは、p.55の2行目まで。今日で全部終わらせたかったのですが、ちょっと残ってしまいましたね。次回は、残りの1ページを終えて、アラスがやはり受胎告知について論じている別のテクストに入ろうと思います。