第14回 純粋な視覚的=聴覚的映像
先週に引き続き、『マーニー』と『ヨーロッパ1951』について。観客が映像のなかに引き込まれ自らを一人の登場人物であると感じるにまで至るヒッチコックの映像に対し、ロッセリーニにおいては逆に、登場人物が耐え難い光景を前に途方に暮れていわば一人の観客と化してしまっているということ、そしてこうした対照が、行動と知覚との関係をめぐる差異を含意するものであるということを、ジル・ドゥルーズの分析にもとづいて解説しました。次回は、最後に提出した問い、すなわち、知覚と行動との結びつきを緩めることによって初めて出現するものとはいったい何かという問いに関して考察していきます。
なお、授業の最初に2007年度の3ゼミについて少々説明を行いました。もっと詳しくいろいろ聞きたい方は、授業の後にでも気軽に質問してください。
参考文献
Gilles Deleuze, Cinema 1 L'image-mouvement, Paris, Minuit, 1983
Gilles Deleuze, Cinema 2 L'image-temps, Paris, Minuit, 1985
アンリ・ベルクソン、『物質と記憶』、田島節夫訳、白水社、1999年