講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

問題は発明すべきものである

ご無沙汰している隙に夏休みも残りわずかとなってしまいました。私自身、終えるべき仕事が終わらず無念。とはいえ、文字で遮られる無味な視線の不可避的中断はやはり無上の救済です。


今日は、論文などにおける問題提起の重要性について。


「・・・しかし、ほんとうは、問題を解決することよりも、それを発見し、ついでそれを提出することのほうが重要なのだ。なぜなら、ひとつの思弁的問題は、それがうまく出されたときには解決しているからである。つまり、そのとき回答は、隠されたままであるかもしれないが、いわば覆いをかけられて存在しているのであり、あとはただ覆いをはずして発見しさえすればよい。けれども、問題を提出することは、単に発見することではなく、発明することである。発見は、現実的にであれ潜在的にであれ、すでに存在しているものにかかわっている。したがって、それは遅かれ早かれ、やって来ることが確実なものだった。発明とは、存在していなかったものに存在を与えることであり、それはついにやって来ないこともありえたのである。すでに数学において、また形而上学においてはなおのこと、発明の努力は最もしばしば問題を生み出すことにあり、問題が提出される際の用語を創造することにある。問題の設定と解決とは、ここではほとんど同等の価値を持っている。真の大問題は、どれもみなそれらが解決されるときにしか提出されることはないのだ・・・」


アンリ・ベルクソン『思想と動くもの』より(ジル・ドゥルーズ編『記憶と生』、前田英樹訳、未知谷、1999年、36頁)