講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

『フーコーその人その思想』

ポール・ヴェーヌ著『フーコーその人その思想』筑摩書房より拙訳にて刊行されます。これは、フーコーの友人であり同僚でもあった歴史学者ポール・ヴェーヌによる一種の知的肖像画です。そのなかから、コレージュ・ド・フランスにおけるフーコーの講義について述べられた次の一節を紹介しておきましょう。内容についてさらに詳しく知りたい人は「あとがき」も参照してください。

 フーコーによれば、あらゆる事物がつくられたものである以上、「それがどのようにしてつくられたのかを知れば、それが解体することもありうる」。しかし、フーコー教授が数多くの聴講者たちに示していた系譜学的「記述」は、やはり彼の言葉に従うなら、「決して処方の価値を持つものではない*1」。つまり、そこから一人ひとりが自分の好きなようにやればよいということだ。「知識人の役割は、自明性を覆し、容認された馴染み深さを消散させることであり、他の人々の政治的意志に形を与えることでもなければ、他の人々に対して何をなすべきか語ることでもない。いかなる権利があって知識人はそんなことをしようというのか*2。」「他の人々に法を課そうとするなどくだらない」ことだ*3。毎年、初回講義の冒頭で、フーコー教授は次のように繰り返していた。「大ざっぱに言って、事は以上のとおり運んだように思われます。しかし私は、以上がみなさんのなすべきことであると言ったり、これは良い、これは良くない、と言ったりするつもりはありません*4。」(202頁)

*1:『思考集成』9、323頁(「構造主義ポスト構造主義」)

*2:『思考集成』10、168頁(「真実への気遣い」)

*3:『快楽の活用』、16頁

*4:『思考集成』7、243頁(「権力に関する明言」)