講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

「自然の本質」

今度は3ゼミで扱ったヴォルテールによる「自己愛」の分析に関連して、サドの次の一節など(ノアルスイユの言葉)。あくまでも引用です。


「・・・要するに、人間における一切は悪徳なのだ。悪徳のみが自然の本質であり、自然の組織の本質なのだ。自己の利益を他人の利益の上に置くとき、その男は悪徳漢である。またよしんばその男が美徳の懐にあったとしても、そもそも情欲の抑制であるこの美徳なるものは、かならず自尊心の衝動であるか、しからずんば、罪悪の手段が提供するよりも安全確実な幸福の一定量を回収したいという欲望であるか、そのいずれかであることに間違いないのだから、やっぱり彼は悪徳漢である。つまりこの男が求めているものは、つねに自己の幸福であって、それ以外のものには彼はけっして心を労さないのである。だいたい動機なくして善を為すというがごとき、無私無欲な美徳が存在すると思ったら、それこそとんだお笑いぐさである。そんな美徳は絵空ごとでしかない。人間が美徳を行うのは、そこから何らかの利益を引出すため、あるいは何らかの感謝を期待するためにすぎないのだということを、よく覚えておくがいい・・・」


マルキ・ド・サド、『悪徳の栄え』、澁澤龍彦訳、河出書房新社、1965年