講義日誌 yasuyuki shinkai

明治学院大学文学部フランス文学科 慎改康之

大学院

イマージュを描く

1579ページ下から2行目まで読了。「描く」peindreという言葉が、「顔を描く」と言うときと「絵を描く」と言うときとで異なるという点がポイントでした。

イマージュ、エクリチュール、シニフィアン

1578ページ下から2行目まで読み終えました。イマージュをめぐる戯れが沈静化された後、それがどのようにして再興されるのか、に関するくだりです。

イマージュの戯れ

1577ページの真ん中まで終了。写真術が発展した19世紀後半において人々がどのようにイマージュと戯れたのか、その具体例について記述されている箇所でした。

写真と絵画

今学期は、フーコーのフロマンジェ論 "La peinture photogénique" を読んでいきます。今日は1576ページの10行目まで読了。19世紀後半の写真と絵画との戯れに関する記述がしばらく続きます。

バタイユのマネ論(2)

最初に大学院中間発表に関する内容紹介をやってもらった後、バタイユのマネ論に関する論文の続きを読んでいきました。最後は時間切れでバタバタになってしまいましたが、マネの絵画の「沈黙」を強調するバタイユの主張はだいたい理解してもらえたのではない…

バタイユのマネ論(1)

本日より、バタイユのマネ論に関する論文を講読。思いのほかわかりにくかったようで、68ページ下から4行目まで。あくまでもおおざっぱな紹介なので、来週なんとか最後まで確認したいと思います。

フォリー=ベルジェールのバー(続き)

本日で、フーコーの『マネの絵画』を読了。絵画がそれまで隠そうとしてきたものを逆に見させようとする絵画、それがマネの絵画である、というフーコーの主張は、大筋において理解してもらえたのではないかと思います。次は、前期の残りの数回で、バタイユの…

フォリー=ベルジェールのバー

いよいよ最後の作品「フォリー=ベルジェールのバー」の分析。46ページの途中まで進みました。次回はこれを読み終えて、バタイユのマネ論に関する紹介を行う予定です。

バルコニー

「バルコニー」に関する部分を最後まで読み終えました。次回からはいよいよ最後の作品「フォリー=ベルジェールのバー」に関する分析です。なお、フーコーのマネ論を読み終えた後は、バタイユのマネ論について書かれた文章を扱う予定です。

オランピア

40ページまで読了。「オランピア」のスキャンダルを光の表象という側面から読み解く箇所でした。

笛を吹く少年、草上の昼食

「草上の昼食」まで読了。フーコーが言っていることのすべてが腑に落ちるわけではないかもしれないけれど、それを読むことで、誰もが知っているマネの有名な作品に対して、これまでとは違った視線を注ぐことが可能になってきているのではないかと思います。

給仕する女、鉄道

36ページ7行目まで終了。画布の平面性の話を終えて、光の問題へと移ります。

アルジャントゥイユ、温室にて

33ページの9行目まで終了。今日は結構進みましたね。

マクシミリアンの処刑、ボルドー港

30ページのボルドー港に関する箇所まで終了。モンドリアンを連想させると言われればなるほどそのとおりかもしれません。次回はアルジャントゥイユからです。

オペラ座の仮面舞踏会

28ページ8行目まで読了。フーコーにとっての問題は、あくまでもマネが何を描いたのかであり、マネが何を意図したのかではないということを強調しておきました。

「チュイルリーの音楽会」

26ページ4行目まで読了。ここからは具体的な作品分析です。絵画について語るときにどのようにすればよいのか、フーコーのやり方を参考にしてもらえたらと思います。

絵画と表象

本日より講読開始。みんなしっかり予習してきてくれたおかげで、ほぼ予定通りのペースで進み、23ページの18行目まで読了。このペースでいけば、前期でマネ論を読み終えることができそうです。

イントロダクション

こちらもイントロダクション。まずはフーコーのマネ論を読んでいきます。今年度は受講者多めなので、それぞれの関心分野について発表や議論をする機会も設けられたらと思っています。

Combien d'années faut-il à un artiste pour parler enfin avec sa propre voix

なんとか本日でテクストの最後まで読了。言語の獲得は完了することがない、という結論でした。

l'expérience vécue

46ページ4行目まで終了。なんとか次回で最後まで読み終えることができそうです。

la conscience est inséparable de son expression

43ページの最後まで読了。1月の2回の授業でなんとか最後まで終えることができそうです。

Conception de Max Scheler

本日より、マックス・シェーラーによる他者論に関する記述。42ページまで進みました。

la possibilité de partir sans poser le "cogito" primordial

本日は41ページの下から16行目まで。次回はフッサールからマックス・シェーラーへと移行します。

Existence d'autrui

本日より新しいテクストを講読開始。フッサールの他者論に関するメルロ=ポンティの講義です。「言語の現象学について」で展開されていた議論が明快に語られていて、だいぶわかりやすいのではないかと思います。

la spontanéité non-délibérée

「言語の現象学について」を本日読了。来週からは、他者問題に関する講義録を読んでいきます。

la présence de tous les présents dans le nôtre

テクストは121ページの最初の段落まで。もう少し残ってしまったので、来週はこれを終わらせた後、次のテクスト("Le problématique de l'existence d'autrui d'après Husserl")に進みます。

la situation fait partie de Cogito

120ページ6行目まで進みました。この調子なら、来週には今のテクストを読み終えることができそうです。

La perception d'autrui

テクストは118ページの下から5行目まで読了。他者経験の話でした。

Corps comme médiateur de notre rapport à l'objet

117ページの14行目まで終了。言語の話から、現象学および哲学の根本問題に移り、かなり手強い議論が続きますが、根気強くいきましょう。

Constitution universelle

テクストは116ページ5行目まで。Constitution unierselleとJe est un autreについては、来週説明します。